いかがなものか・・・
その是非をとやかくいう 論点の持ち合わせがないが
もともと、牛の債権化、証券化というのは危険をはらんでいた
という専門家もいるそうである
先物で小豆やとうもろこしの販売権が取引される
不安定な収穫に対し、
農家にとっては不作でのリスク回避につながる制度である
安愚楽牧場の場合には 5-7%の還元をうたっているが
オーナー制度なので、牛が死ねば
飼い主の配当はゼロで購入代金はパーである
そもそもこのモデルはあやうい成立なのではないだろうか
たとえば
牛が伝染病にかかったら 今回と同じことがおきるであろう
原発の事故は引き金のひとつには違いないが
別の原因でも起こりえた現象である
たとえば、ユッケで死者が出た問題も
牛肉の価格の下落の原因である
さまざまな理由で資金ショートが起きたのであろう
そういったリスクと引き換えに配当金利を得ていたのであるから
リスクがあっても補填するのはどうだろうか・・・
もともとこういった 物権の債権化が発祥したのは
17世紀のロンドンであった
コーヒーショップに集まる人々が
株式会社をつくり、保険制度や証券取引をつくった
当時 戦費のためイギリスの国庫が空になったとき
アメリカの土地を担保に回して債権化し国庫が潤った
航海術の向上が一般的になるまでになると
アメリカに行くことができる
自分の土地はあるのか・・・
じつは架空の土地を作って配当することができるので
アメリカに行って確かめさえしなければ この制度は無尽蔵である
南海泡沫事件は そのバブルがはじけた結果であることは
このブログでも かつて ふれた
コーヒーショップにいたダニエルデフォーが
「ロビンソンクルーソー」の中で
やたらとデータを重視する
たとえば 船の描写で
マストの長さや、幅 その先端付近のシミまで言及するのは
リアルなものを求めたのである
この書き方は皮肉でもある
リアルなデータを集めても 虚しいのである
それは 言葉と物(フーコーの仕事)の世界である
データとリアルものとの差異などとっくに気づいていたのである
普遍言語運動のあとの展開から 言葉が恣意性をもつこと
すなわちシニフィアンとシニフィエの結びつきが無理やりであることなど
とっくに気づいているのである
循環させること 流通を作り出すこと
そこに金脈の元を見出したのだ
デフォーは 編集者でもある
そして、彼のつくったもの 株、貨幣、保険・・・
リアルなデータを集め提示し 循環させる
そこに真実があるのである
ショートするまでは
データと真実の一致など必要ない
しかしこれは大事な概念でもあるのであって
マニエリスムといった技法にもつながることについて
このブログでも再三ふれているところである。
ともかくも、
事物と事物の結節点(橋)
橋を橋でつないでいく、そして循環が生まれる
このつないでいく作業は
デリダの脱構築(ずらしていく)の作業にも似ているだろうか
もともと脳の認識だって モナド的な単位でみれば
刺激(パルス)をシナプス(橋)でつないだ総体である
こうなるとすべてが不確かに思えてくる
さて
牛肉の話にもどそう
安愚楽の牛のオーナーも
牛の真価などに興味はない
牛が生み出す利益のみがリアルなものである
そして、牛の値段(データ)そのものも
牛の真価など表してはいまい
たとえ放射能に汚染されていない牛であっても
風評というデータのせいで牛の価値は下落するのである
循環ついでに面白いことを思いついた
Facebookの「いいね!」の話である
こんなことを投稿する
「わたしは妻に結婚記念日にプレゼントをしたい」
「マラソン大会でがんばった息子が
こんなものを欲しがっているので是非記念に買ってあげたい」
この投稿に「いいね!」した人から
一率 100円徴収して 投稿者に寄付する
すると・・・
ひとりひとりの負担は100円なのに
100人のいいね!で 1万円が集まる
という仕組みはどうであろうか・・・
このしくみ が健全に思えてならないのだ
たとえ その金集めのための詐欺まがいの投稿
がはびこるようになってもである
なぜか
安愚楽の場合には
牛がかわいくて
オーナーになったのでなく利益配当のためである
それに対して この「いいね!」は
現実利益という見返りを求めないからである
しかしこの結婚記念日代の一部を負担したことについては
精神的なそれはあっても見返りはない
それは奉仕といえる行為なのである
その見返りは投稿者が真実なら 感謝が返ってくるであろう
感謝がやってくることは 人生の中でとんでもない利益である
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